自転車紹介の短い動画をYouTubeに載せました。

このためにわざわざ撮影したものではないので、過去の写真や動画の使い回しです。

なんとなくですが、人間の好みは最終的に鉄と木に収束するんじゃないかと思っています。鉄や木だと安心するとか、そういう感覚がありませんか?

カーボンバイク全盛の時代ですが、木製という選択肢を提供したいというのが僕の欲望です。木製のオーダーフレームで、とんでもなく高価ではなく、有名メーカーのカーボンフレームと比べて悩めるくらいのもの。見た目や雰囲気を重視せずに、ちゃんと性能で比較されるもの。ハンドメイドなので結果的に世界に一つのフレームになりますが、誤差や交差、木目の違いみたいなレベルの唯一ではなくて、乗り手に合わせた唯一のものです。

世界で一つ。

よくそんなモノを紹介する動画があります。特注品などは世界に一つですから、そういうモノはこの世にたくさんあります。部品の寄せ集めでもそれっぽいものは作れますから、世界に一つを謳えるかもしれません。部品を一つ換えるだけでも、もしかすると世界に一つかもしれません。

我々は元々この世で一人だけの人の集まりですから、趣味も興味も感性も世界に一つです。個性があるのは当たり前ですから、わざわざ個性を強調する必要も無いかもしれません。

世界に一つを狙わなくたって、機能や寸法や形や色が自分に感性に合うものを素直に作れば自然と世界に一つになるはずです。

個性的でみんなと違うものを得ようとして、似たような外観になってしまうことがあります。なぜか顎ひげを少し生やしていたり似たような眼鏡をかけていたりするお洒落系と評価されていたり自ら口にしたりする人たちをみたりすると、よくわからなくなります。

もしかすると本当に個性的なモノというのは、受け入れるのが難しいもので、流行に乗るとか一定数の集団の趣味に合わせる、みたいなことをしないと見向きもされないのでないかと思ったりもします。個性的なのが当たり前なので、当たり前過ぎて見えない。当たり前を少しデフォルメしたり類型化したりして強調しないと見えない。

遊びならともかく、仕事となると見向きもされないと困ってしまいます。困ってもいいから自然にやる。これには勇気や諦めが必要なのかもしれませんが、そうしたいんだから仕方ない。

故人であるスティーブ・ジョブス氏は「人々が欲しいと自覚していないものを作り出す」経営者だと言われていたことがあります。「本当はこういうものが欲しいんだろ?」と語りかけるわけ。

いつかそんなモノを作れたらいいなと思いつつ、生きている間に作れないかもしれないと不安になったりもします。努力は必ずしも報われないし、報われることを期待する行為を努力と呼べるのかと思ったりもします。

まあ、なるようになるんでしょう。